生きてるだけで丸もうけ。

40代、独身女の徒然日記。

怒涛の一年でしたよ

再就職して、ほぼ毎月辞めたい言ってたが、また就活する体力無いから、もうすぐ一年だが辞めずにいる。

それよりも大変だったのが6月に父が脳出血で倒れたこと。

2回目で、1回目は幸い回復が良くて右半身にホントに軽く、日常生活に支障きたさない麻痺が残っただけだったのだが、今度は左半身が完全にやられた。出血もかなり広範囲なもんだから認知症にもなって、食事もしてたが誤嚥性肺炎にもなってひと月絶飲食になったらもうガリガリに痩せて、辛かった見てて。

それより何より認知症

元々母への当たりが強い、言葉使いも悪い父で、正直好きでは無かった。でも父自身の出生環境が特殊で、(そもそも届出上の誕生日が本当に生まれた日じゃない時点でおかしい)親から愛情を注がれずに育ったので、やくざ者ならずキチンと働き私達を養ってくれた不器用な人なんで心底嫌いにはなれない、そもそも親だし。

話逸れたが、元々気性が激しいタイプではあり、外面の良さは天下一品で、身内には鬼のように冷たい人だったんだが、認知症進んできてるのか、プラスアルファで酷い。母は実家から1時間かけて父が入院しとる病院に車運転してきてるんだが、最初は1日おきくらいにしなさいよ言ってたのだが、母来ないと病院スタッフになんにもお願い出来ないのか(ここで外面の良さ発揮すなやと思うが)母が1日行かなかった次の日の発狂したかのように怒り狂う様をみると、イライラした。そして仕事の最中に倒れたから最後の新しい記憶がまだその現場にいる状況なんだな。母行くと必ずその現場の話になるんだわ。

発病して4カ月、母も最初は「必ず良くなる、歩けるようになる」とか言って、まともな事言うと「お父さん、良くなってる。大丈夫、ボケてない」と一喜一憂したもんだ。私は医療職だから100%ありえないとクギさしても認めようとしなかった。

よく患者の家族が現実を受け入れようとしないでキレイな面だけを切り取って無理難題ふっかけてくるけど、認めたくないのかな、変わっていく家族の様を。私には理解できんかったのだけど、

姉・母に言われた

「あんたは医療の事、勉強もしてプロだけど、私達素人からしたら何にもわからないんだよ。だから不安にもなるし、どうしたらいいか頭真っ白になるよ。諦めろ言われてもそんなあっさり切り替えできない。」と。

入院先でも看護師にまず会わないし、忙しそうで話しかけられないんだわ。

うちらもそうやって見られてんだろうか、家族の気持ちには寄り添えてないんじゃないか、つか多忙さにかまけて患者(自分の職場は利用者)の気持ちにも寄り添えてないなぁ…と、改めて自分の看護感を見直すキッカケになった。

今現在も父の容態は変わらずで、今も母は結局毎日病院に行ってる。

両親はそれぞれ自営業で、父は当然廃業。母も今月末で廃業。実家を売りに出し、私がいる市へ移住計画中。

同居しようと計画中。